悲しい出来事なんて、その辺にいくらでも転がっているのかも知れない。
だけど私は…
私には、その出来事を受け入れるだけの強さはなかった。
現実から、逃げ出したかった。
現実を、知りたくなかった…。




─── ここは、何処?
私、何をしていたんだっけ?

「稀穂(きほ)!」
「………」
「どうしたの? ボーっとして」
明るい声で呼びかけたのは、瀬尾 高砂(せお たかさ)。私の彼だった。
「…ううん。何でもないの!」
そうだった。今日は高砂とデートに来てたんだっけ。
「俺といると、楽しくない?」
ちょっと拗ねた顔で、高砂が言う。
「そんな事ない!」
私は慌てて言った。
「ならいいんだけど!」
そう言って高砂は、私に軽くキスをする。

高砂とは幼馴染みで、すごく自然に付き合い始めた。
同い年なのに高砂は大人で、ずっとお兄ちゃんのような存在で、私の事をいつも助けてくれた。

「…あ、私お弁当作ってきたの」
お弁当を差し出すと、高砂は
「稀穂はこれだけが取り柄だからな」
と言って、すぐに食べ始めた。
「…どういう意味よ」
確かにそうだけどさっ。
「…おいしい?」
「うん。俺、稀穂の料理食べられるだけで幸せ!」
高砂はそう言って笑った。
とても眩しい笑顔で。

「…なあ稀穂」
お弁当をカラッポにして、高砂がポツンと話しかけた。
「何?」
「俺達さ、高校卒業したら…」
「え?」
「結婚、しないか?」
ちょっぴり顔を赤くして、それでも真剣な瞳をして、高砂が言った。
卒業までは、後7ヶ月。
「俺はずっと、稀穂の傍にいたい」
涙が出てきた。
すごく嬉しい。
「…泣くほど、嫌?」
心配そうな顔をして、高砂が言った。
「…違うの。すごく嬉しい」

それからあっという間に7ヶ月が過ぎ、高砂と私は高校を卒業した。
「すごく、綺麗だよ」
ウエディングドレス姿の私に、高砂が言う。
「ありがとう」
「絶対に、稀穂を幸せにするよ」
「うん」
私は、18歳の花嫁になった。

高砂との結婚生活は、すごく順調に、幸せに過ぎてゆく。
でも私は、何故か不安になる事がある。
時間が経つにつれて、不安が大きなものになっていく。
何がこんなに、私を不安にさせるんだろう…。




高砂と結婚してから6ヶ月が過ぎた。
毎月順調に来るはずのモノが来ない。
…もしかして、赤ちゃん?
病院に行ってみよう。

「…おめでたですね。現在3ヶ月です」
やっぱり。
出来たんだ。私達の宝物。
私は病院を後にして、急いで家への道を歩いた。
「稀穂…さん?」
不意に後ろから呼び止められて振り向くと、猫の耳と尻尾が付いた人(?)が立っていた。
「探したよ。こんな所にいたんだね」
「…私、貴女の事知らないんですけど…」
「稀穂さん、ここは貴女のいる世界じゃないんだよ」
その人(?)が言った。
「え?」
何を言っているのかわからない。
「私はみぅ。この世界の番人」
「この世界?」
「そう、この世界に迷い込んだ人を現実に戻すのが私の役目。ここは、夢の世界。稀穂さんは今、夢の世界にいるの」
「………」
どういう事?
「稀穂さん、高砂さんは、もういないんだよ?」
みぅは話を続ける。
「現実で、高砂さんは死んじゃってるんだよ?」
「嘘よ!? 高砂はちゃんと生きてる!」
私は思わずそう叫んで走って家に帰った。

何なの?今の。
失礼な人。
立ち止まらなければ良かった。
話なんて、聞かなければ良かった。
なんで立ち止まったりなんかしちゃったんだろう?




「ただいま」
いつものように、高砂が仕事から帰って来る。
ほら、ちゃんと高砂はここにいるじゃない。
「おかえり高砂! 今日はね、報告があるの」
「…俺も、稀穂に言わなければならない事があるんだ」
「え?」
「本当は、もっと早くに言わなければいけない事だった」
「何、言ってるの?」
「俺はもう、死んでいるんだ…」
深刻そうな顔をして、高砂が言った。
「…何…言ってるの? 高砂ちゃんとココにいるじゃない」
「………」
高砂は少し俯いて首を振った。
「ここは、現実じゃないんだ…」
「…なんなの? 高砂まで、何でそんな事言うの? 私の事、からかってるの?」
昼間、みぅという人が言った事と、同じ事言ってる。
「違うよ…」
「やめてよ! 笑えないよ、そんな冗談…」
「…稀穂」
「やめて! 嘘だよ!」
「…稀穂さん、高砂の言ってる事は、真実(ほんとう)の事だよ」
その時、突然みぅが現れてそう言った。
「何で? 何でそんな嘘つくの?」
信じられるわけ、ないじゃない。
「稀穂さん聞いて? 昼間言ったように、ここは夢の世界なの。この世界に入ってしまって1年経てば、貴女は死んでしまうの」
「………嘘」
「貴女はもう、この世界に来て6ヶ月間を過ごしてしまったの。その間、現実の世界にある貴女の身体は眠り続けているのよ。貴女の家族はみんな貴女の事、心配してる。現実の世界の人達は、貴女の帰りを待ってるんだよ?」
「…私は、高砂さえ傍にいればそれでいい。他の人なんていらない。私は高砂を愛してる…」 ここが、夢の世界でも何でもいい。高砂がいればそれで…
「ダメだよ稀穂…無理なんだよ…」
高砂が言った。
「どうして? 高砂ずっと傍にいるって言ったじゃない!」
今度は、みぅが答えた。
「稀穂さん、貴女が死んでしまえば、この世界にはいられなくなっちゃうんだよ?死んだら夢は見られない…」
「………」
「稀穂さん、貴女にとってはすごく辛い事だけど、貴女の記憶、戻すね…」
みぅはそう言って、私の額に手を当てた。




「高砂、早く来ないかな…」
私は、結婚式場の控え室で高砂を待っていた。
「遅いわね。本とにあの男、時間にルーズなんだから…」
1コ上のるみ先輩が言った。
るみ先輩も去年、付き合っていたひろおみさんと結婚した。
るみ先輩は3年前まで、事故が原因で目が見えなかったらしいんだけど、ひろおみさんはるみ先輩の目の手術をした病院の息子さんで、それ以外にも色々あって、結婚に至ったそう。
るみ先輩もひろおみさんも、すごく良い人で、私はこの2人が好き。

それにしても高砂、遅いなぁ…。
お父さんが控え室に入って来たのは、その時だった。
走って来た様子で、少し息切れをしながら、私に向かって言った。
「高砂君が、ここに向かう途中、事故に遭ったらしい…」
「…え!?」
そして私は、高砂の運ばれた病院に行って…
高砂の身体は、もう冷たくなってて…

私はそこで、意識がなくなった…

「嫌ぁ ─── っ!?」
「稀穂さん…」
みぅが心配そうな顔をしながら、私に言った。
「思い出したようだね…」
「…高砂」
私の瞳から、大粒の涙が零れた。
そう。
高砂はあの時、死んでしまったんだ…
私を残して…
「稀穂…すまない…」
高砂が言った。

「稀穂!」
─── え!?
るみ…先輩? それにひろおみさんも…どうして?
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
この世界に突然、2人が現れたのだ。
「みぅ、久しぶり」
2人はみぅに向かって、そう言った。




「稀穂、私達もね、一度ココに来た事があるの」
「え?」
「私、稀穂も知ってる通り、3年前まで目が見えなかったの。手術をするのが恐くて、今の稀穂と同じように、この世界に来たの」
「僕も、その時この世界に来てたんだ」
2人は、その時の事を話してくれた。
(Dream Though Actuary参照)

「稀穂、夢を見ていても、何にもならないんだよ?」
るみ先輩が言う。
「高砂君だって、稀穂ちゃんがこのまま死んでしまうのを、望んでるわけがないんだ」
ひろおみさんが、優しい口調で言う。
「………」
「稀穂、俺はもう、お前の傍にはいられない…」
高砂が言った。
何も、答える事が出来なかった。
「稀穂…」

「稀穂、私達はもう、現実に帰るよ」
るみ先輩が言った。
「え?」
「これからどうするかは、稀穂ちゃん次第だよ」
ひろおみさんが言う。
そして2人は、みぅに導かれて帰って行った。




私は、それから自分で考えて、考えて、答えを出した。
「私、現実の世界に帰るよ。高砂の分まで生きる」
「あぁ…」
高砂が、少しほっとしたような顔で言った。
高砂は私の事、心配してくれてるんだ。
本当は、ずっと傍にいたかったけど…

「高砂は…これからどうするの?」
私は聞いた。
「稀穂の事、ずっと見てるよ。空の上から」
「うん。ちゃんと、見守っててね」

「じゃあ、稀穂さんを現実の世界に戻すよ」
みぅが言った。
「うん」
みぅが手を上げると、意識が段々なくなっていった…。
私は薄れゆく意識の中で、高砂にありがとうの言葉を告げた。
その声が、ちゃんと高砂に届いたかどうかは、わからないけど…。
「高砂、愛してるよ…」




目が覚めると、そこは見慣れた我が家だった。

その後私は、看護婦の資格を取り、ひろおみさんの病院で働いている。
私のような思いをする人が、少しでもいなくなるように。
高砂はきっと、今も私を見つめてくれている。
そう信じて。
私は、高砂の分まで、自分の出来る限りの事をしながら生きていこうと思う。